歌詞雑感・車輪の唄
BUMP OF CHICKENの「車輪の唄」という曲を何気なく口ずさんでいたら、歌詞の一節にこれまで感じたことのなかった引っかかりを覚えた。
券売機で一番端の
一番高い切符が行く町を 僕はよく知らない
その中でも 一番安い
入場券を すぐに使うのに 大事にしまった
(「車輪の唄」詞:藤原基央)
「一番高い切符」と「一番安い入場券」の対比、その入場券を「大事にしまった」という「僕」の心境を想像してせつなくなる、初めて聴いた時からとても好きな一節なのだけれど、さっき引っかかったのは 「よく知らない」というところだ。
全く何も知らないというのではなく「よく知らない」。
「よく」は知らないのだから、言い換えれば少しだけは知っている。その町の名前ぐらいは聞いたことがあるのかもしれない。もしかしたらテレビか何かで見たことのある町なのかもしれない。人づてにどんなところか聞いたことがあるのかもしれない。でもきっと行ったことはないし、この先も行くことはないのだろうなと思っている。
そんな町に「君」は向かう。
と、そんな筋書きが「よく知らない」という言い回しから浮かんだ。
券売機の路線図に載っている駅なのだから単純な距離で言ったらそんなに遠くもないのではないかと思うのだけれど、そういう、「全く知らないわけではないけれど自分とは縁遠い場所」に「君」が行ってしまうというのは、もしかすると全然知らない場所に行くのよりも、遠くに行ってしまうという実感が強いのではないかという気がしたのだ。
あるいは、その町のことを「よく知らない」けれど少しだけ知っている主人公が、その町にどこかであこがれを抱いていたとしたら、この曲のストーリーはまた少し違う見え方をしてくる。自分のいるところを離れてその町のほうに行くのであろう「君」は、さっきのとは微妙に違う意味で、しかしやはり遠い存在になってしまう。
と書いてきたけれど、実際のところこの「よく知らない」という言葉選びにそこまで深い意味があるのかどうかはあやしい。
昔聴いていたときはこんなことは考えなかったのだけれど、最近どうも枝葉に気を取られすぎる。困ったものだ。