一時停止場所にて

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小説を読むということ――森見登美彦『熱帯』感想

あけましておめでとうございます。

昨年の11月頃に読んだ本の感想を今頃になって書こうとしているわけですが、果たして内容を覚えているのだろうか。

一抹の不安はありますが、「これは感想を書きたい!」と思っていたので今さらながらブログにしたためようと思います。若干ネタバレになるかもしれませんのでこれから読む予定の方はご注意を。

 

森見登美彦さんの最新作『熱帯』を読みました。

 

 

熱帯

熱帯

 

 

端的に言ってめちゃくちゃおもしろかった。

小説にこんなにのめりこんで睡眠時間まで削られたのは久しぶりかもしれません。

 

突然ですが、「クラインの壺」というのを聞いたことがあるでしょうか。

同名の小説があるようなのでややこしいかもしれませんがそのことではなく、中と外の区別がない立体だそうです。

裏表のない「メビウスの帯」の立体版という感じ(極めて雑な説明なので気になる方は調べていただくのが良いかと思います…)。ただしこれは三次元の空間では作ることができないのだとか。

中と外がない。つまり、壺の内側の平面だと思って辿っていくといつの間にか外に出ていて、外側の平面だと思っていたら内側に入っている。不思議なものです。

 

さて、なぜ急に「クラインの壺」の話をしたかというと、この小説『熱帯』を一読して受けた印象がまさにそれだったからです。

外側にいると思ったら内側に入っている、かと思ったらいつの間にか外に出ている。

 

『熱帯』の中には、重要な鍵ともなるモチーフとして『千夜一夜物語』が出てきます。『アラビアン・ナイト』や「シンドバットの冒険」としてなじみ深いであろうこの物語は、シェヘラザードが王に語ったものであり、またその物語の中で登場人物が新たな語り手となるという入れ子構造になっています。『熱帯』もそのような入れ子構造の話になっているのかなと途中までは思うのですが、読み進めるにつれ、そう一筋縄ではいかないのが森見作品なのである、というのを改めて認識させられます。

 

読み終えて、少々狐につままれたような、それでいて妙に納得させられてしまうような。

 

『熱帯』は「『熱帯』という名前の幻の本――誰もその本を最後まで読んだことがない――をめぐる物語」であるという意味でも「小説についての小説」なのですが、その「冒険」の過程というのが「小説を読む時・小説を書く時に起こっていること」のあらわれであるという意味でも、これは「小説についての小説」なのだなと思うのです。

特に後半は森見さんの、物語というものに関する思考の海の中に潜らせてもらって、その海の中から小説が形作られていく過程を眺めているような気分になりました。その過程のなんと奇想天外でおもしろいことか。

やはり作家生活15周年という節目、集大成と呼ぶにふさわしい大作だなあと思ったわけです。

 

集大成といえば、これまでの森見作品に通じる様々なモチーフや世界観、場面展開の仕方であったり、森見さんの原点にあるのであろう『ロビンソン・クルーソー』のような物語へのオマージュであったり、そういうものが随所に見られるのがうれしくもありました。『熱帯』はこれまでの森見作品とはまた違った切り口の作品ですが、これまでの作品のエッセンスも取り込んで醸成されたという感があります。

読んでいる間の没入感も、読み終えた時の「読んでやった!」という充実感も、ここ最近読んだ小説の中で一番でした。「小説についての小説」、まさに怪書(作者本人談)であり、快書です。

 

「感想を書きたい!」と言っていた割には、あらすじをまとめるのが難しいというのもあり非常に抽象的な文章になってしまいました。ネタバレどころかまだ本書を読んでいない人には何のこっちゃという感じでしょう。2019年最初の記事だというのにすみません。

 

とはいえ、2018年に読んだ小説の中で(そんなに数は多くないという注釈はあるものの)間違いなく個人的ベストヒットだったのがこの『熱帯』でした。

ぜひご一読を。